これ以後は自分自身の人生に対してまったくの異邦人となって自分の人生を育んでいき、恋人を見るときのような近視眼は棄てて自分の人生を眺めわたすこと、ここに解放の原理がある。(•••)ある朝まだき、刑場へと向けて開かれた牢獄の門をまえにしたときの死刑囚の、あの神のような自由な行動可能性、生の純粋な炎以外のいっさいのものに対する、あの信じがたい無関心、-そう、じつにはっきりと感じられよう、こうした状態においてこそ、死と不条理とが、妥当な唯一の自由の、つまり人間の心情が経験し生きることのできる自由の原理となるのだ。これが第二の帰結である。こうして不条理な人間は、炎と燃えあがりしかも冷たく凍った宇宙、どこまでも透明でしかも限界のある宇宙、なにひとつ可能ではなくしかもすべてがあたえられている宇宙、それをすぎた先は崩壊と虚無に他ならぬような宇宙を垣間見る。そのときかれは、このような宇宙の中を生きることを受入れ、そこから力と希望の拒否とを抽き出し、なぐさめられることのけっしてない人生を執拗に証ししようとする決意を固めることができるのだ。(清水徹)
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